2Eの人の大学生活サバイバル体験談②

こちらの記事は古く、現在の当団体の方針とは大きく異なる内容である可能性が高いですのでご注意ください。

 

ショーの後、私のサークル内の立場はものすごく悪くなってしまいましたが、

 

好きな男の子がいて、その子もツイッターに私のことを書いてくれたりしていたので、2年生展示会で頑張ればいいや、
サークルを引退する4年生になったらその子と付き合おうと思って(その当時、サークルクラッシャーということばが流行っていました)、
サークルに通い続けました。

 

2年生の途中でメーリングリストから外されましたが、
それでもサークル棟の職員さんにミーティングの場所を毎回教えてもらって通い続けていたら、

2年展示会の時に作った服(この服は今も着ています)も見てももらえなかったので、
辞めようかなと思いはじめました。

 

その時には精神は病んでいました。

 

家族の足音がアドバイスに聞こえるのです。

大学での先生のチョークの音は
「出ていけ」という風に聞こえていました。

 

その音を打ち消すため、音楽をかけていたら、家族にうるさいと言われました。

携帯電話で音楽をかけていたと思われたのか、母と父にiPhoneをトンカチで壊されて(ICチップは無事でした)、

母に頼まれた弟に警察に電話されて一か月精神病院に入院になりました。

 

個室でしたが、無理矢理ホールに行かされ、他の精神や知的の方とうまくコミュニケーションがとれなかったので、とてもつらい入院でした。

 

主治医に「一カ月経っても症状が全く改善されないから、発達障害です。入院の必要ないから退院して」

と言われて退院しました。

 

父も母が私と同じ精神病院に入院したため、忙しくなってしまい、

私の退院時の服を当日まで持ってこれなかったため、とても不安でした。

 

父が持ってきてくれた私が作ったロリィタ用の下着と犬のぬいぐるみと
ピアカウンセラーをしている他の患者さんがくれた相談受付用のヤフーのメールアドレスだけがお守りでした。

 

メールアドレスを書いた紙も看護師さんに見つかりましたが、相談用とその患者さんが話してくれたようで返してもらえました。

 

1年ショーの時に手伝ってくれた母の「いじめられているよ」というアドバイスに
すぐ耳を傾ければよかったです。

その時はこんなに親身にアドバイスしてくれている文化学園の学生が
いじめているわけがないと思っていました。

 

今考えるとデザイン画の段階でジャケットだけだったのに、

ショーの3日前に
「ジャケットだけじゃだめだよ。シャツ(スタンドカラーのジャケットだったので見えません)とズボンも作りな」

と指示するのはおかしいと思います。

 

 

退院後、1年生の4月から通っていたカウンセリングセンターの臨床心理士さんに
教員免許取得を諦めるという条件つきで時間割表を作ってもらい
(その前は時間割アプリで管理していました)、

なんとか四年で卒業できました。

 

退院後もサークルに何度か行きましたが、
好きだった男子に障害をメールでカミングアウトして振られたので、

私はサークルを追放になったようです。

 

 

サイニィに載った論文は2年生の時に書いたかと思います。

専門の先生に直してもらったので、卒業論文ゼミの先生にも「どうどうたる論文」と褒めていただけました。

自主ゼミにも入院前までは入っていたので、800字くらいのレポートを何回も学内の研究雑誌に載せていただけました。

 

卒業論文は漱石と鷗外についてサイニィに載ったものに追加する形で書きました。

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