感謝の人生
発達障害があって、才能があると言ってもらったことがある2Eです。
私は小学校二年生で、学童クラブで暇を持て余していたからという理由で書き始めた小説を見せびらかしていたところ、学童の先生に
「あなたは天才だ!サインちょうだい」
と言ってもらったことで、
どうやらギフテッドらしいということがわかりました。
連絡帳にその先生が何か記入してくれたのか、
母親と父親は本であればほとんどなんでも買ってくれるようになりました。
感謝しています。
先生に見せた小説は恋愛の時の狂気について書いたもので、
その頃の恋愛経験は初恋の相手が手紙を書いてくれていたことだけでしたが、時代劇やサスペンスドラマでは妻子持ちの男性と不倫をしてつらい思いをする女性などが多いから、
珍しさからでもいいから売れるようにという理由で男性が女性が夢中になっていくものを書こうと思って書いたものでした。
恋愛が引き起こす本物の狂気というものは大変なものだと
福島章『ストーカーの心理学』を中学生の時に母に買ってもらって少しはわかったので、
あまりにもひどい結末を書くのはやめようとぼんやり思いました。
中学は私立の女子校に入学したものの…
私は中学受験をしたのですが、
「自分は頭がいいから先生から推薦してもらっているだろうから、レベルの高い私立の中学校に入って大学受験もして
最高の教育を受けるためには学校の授業を頑張ればいい」
と思い込んでいたため、中学受験の勉強をし始めたのは小学校六年生の冬からでした。
それでもなんとか私立の女子校に受かりました。
入れたはいいものの、クラスが荒れていたため、不登校になり、精神科に二年ほど通っていた時に発達障害と診断されました。
当時からうつ病だった母にとっては我が子に障害があるということはとてもショックだったようで、
「学習面でも障害の悪いところが出てくるだろう」
ということしか聞き取れなかったそうで、
母からは「学習障害だって」としか言われませんでした。
私は男装っぽい服やロリィタ服を買ってもらっていましたが、
数学などがあまりできないなら女らしくていいじゃない、他の教科を頑張ろうと思いました。
不登校中に学校の先生に好意を持つようになり、学校にまた通い始めることができました。
他の先生に川柳入りの年賀状を出したら、わざわざ買ってきてくれたらしいポストカードで返ってきたこともありました。
部活動はずっと文芸同好会でした。
高校生になってからは中学生には慕われるものの、一つ下の学年の部員から猛烈にいじめられていたのですが、同じ学年は私しか部員がいなかったため、部長になりました。でもなかなか部員の原稿が集まらず、すぐに引責退部をしました。
日本女子大学へ入学
大学は一般受験で日本女子大学文学部に受かりました。
インカレサークル内の人間関係で悩んでしまい、精神科入院をしましたが、
大学のカウンセリングセンターにとてもお世話になり、大学院合格はできなかったものの、好きで書いた短い論文も学内雑誌に掲載され
(卒業後にオンライン論文データベースサイニィに載せていただきました。無料で読めます)、
無事に四年で卒業することができました。
私の誕生会を開いていただいたことがあるほど、褒めてくださる先生もいらっしゃいました。
大学卒業後
就職活動は障害者枠のみを受けていましたが、全滅でした。
カウンセリングセンターには相談して減らしてもらいましたが、
親に学費の面で得をさせてあげて喜ばせてあげようと思ってしまい、
大学四年生なのに、教養科目をたくさん入れてしまったことと
精神科入院のため、個別指導塾を辞めていた期間が長かったために受からなかったと思っています。
卒業後は病院の売店で二ヶ月間働きました。
大学名を店長から他の方に言ってもらってから入ったので、
皆さん親切にしてくださいましたが、手が動かなくなり、退職しました。
今はB型作業所に通うこととボランティアで自殺を止めるゲートキーパーの活動と家でオンラインアンケートを受ける内職を頑張っています。