「ひとと違う」ということ

ギフテッド(gifted)とは、先天的に知的能力の素養が高い人間のことを指します。日本では単に「天才児」というような扱いをされていて、ひとつの観念としての「ギフテッド」というものは確立されていないのが現状です。

またその特徴がADHDやアスペルガー症候群などの発達障害との見分けが難しいことから、病院で往診しても「発達障害」と診断されて、片付けられてしまうケースが多いです。

そのため、個々の生まれ持った能力を活かせずに大人になってしまうギフテッドのひとたちはたくさんいるのだと思います。

 


その場の空気、すなわち「和」を重んじる島国日本ですから「出る杭は打たれる」ことが常識であります。
少し「普通とは違う」人間は、同調しなければコミュニティから排除されてしまいます。
この国において、若くして突出した才能を発揮することは必ずしも幸せなこととはいえない。

 

私も幼いころから色んな人に、「ひとと違うね」「変わってるね」などと言われ続けてきました。
本記事は、ギフテッドとして様々に戦いながら生きてきた私の半生をギフテッドとしての経験から綴るものです。

この記事を読んで、世の中のあらゆる不合理や同調圧力に負けそうになっているひとを、少しでも勇気づけられれば幸いです。
ギフテッドのギフテッドによるギフテッドのための人生教訓。

 

幼少期の事件

人口の少ない田舎町に生まれた私は、幼い頃から「周りと違う」「少し変わった」子どもでした。

私が覚えている記憶で最も古いものが、3歳の頃です。
毎月初めに行なわれる保育園の誕生パーティー。
7月生まれの同級生の子どもたちが、全員前に出て順番に「4歳になりました!」と紹介していくのです。
私は7月28日生まれでした。その日は7月も前半でした。

私は心の中で「厳密には誕生日はまだ来てないから3歳だなあ」と思っていました。

ですから、順番にみんなが「4歳になりました!」と言っていく中で、自分の番になって私だけが
「3歳です!」
と言ってしまったのです。

周りにいた他の生徒はゲラゲラと笑いました。そのことがいつまでも悔しくて、「どうして正しいことを言ったのに笑われないといけないのか」と憤っていました。

 

私は基本的に温厚な性格で、常に己が正しくあればそれで良い、というスタンスで生きているのですが、世の中の不条理や理不尽に対しては人一倍嫌悪を覚えるような性格なのは幼少期から変わりません。


また、誕生月のこのことがきっかけとなって、私は、他人の考えを過度に読み取ろうとする「感情性OE」の性質を持つことになりました。

 

小学校時代

小学校までは、少人数だったこともあり、自分に対して「変わっている」ということで非難するような人はおらず、比較的楽しく過ごしていました。
むしろ、人数が少ない分、個人を尊重した教育が私の学校ではなされていた気がします。

たくさんの物に興味を持ちました。


小1の頃は、「トロイア遺跡」を発掘した「シュリーマン」に興味を持ち、遺跡についての本を読み耽っていました。
将来の夢は「考古学者」でした。
そこから小3にかけてエジプトにも興味を持ち、テレビの「世界ふしぎ発見!」のピラミッド特集は毎週見ていました。
その後発掘つながりで恐竜にはまり、図鑑の恐竜を模写したり、草食動物、肉食動物に関わらず、恐竜の特徴を言えば該当する恐竜の名前は言えました。

学校の近くに水晶の取れる山があったことから、「鉱物」にもはまり、図鑑を濫読してはトパーズ、方解石、瑪瑙、花崗岩などの名前を覚えていたのが小学校高学年の頃。

 

小学校時代は、知識欲はいくらでも湧き上がって来て尽きることはありませんでした。

「知性OE」の恩恵を存分に受けていました。

勉強も得意で、家で勉強を繰り返している、というよりも、好きな本読んで好きなものにずっと触れていただけで、学校の勉強は自然とできました。
強いるよりも、自然になすがままにさせてくれた両親に、いまでは感謝しています。

 

5人だけの学級は、先生も生徒も仲が良く、家族のようでした。
全員が全員の個性を尊重し合う、優しい世界でした。

そのとき、「ひとと違う」ということは私の誇りでした。

 

中学校時代

少子化から市町村合併の憂き目にあった私は、中学校から同級生の数が「5人」から「69人」に増えました。

私の地区から来たのはたった5人で、しかも大部分の40人近くが、合併した中で最も規模の大きい小学校の出身でした。
クラスはふたつあり、同じ小学校だった5人は、3人と2人に分けられました。

学級内のグループは男子も女子も既に一番大きな小学校出身の人間で固められて、出来上がっていました。
私にとってそれは経験したことのない環境の激変でした。

 

クラスの中心にどうしても入りたくて、休憩時間、一番大きなグループに初めて話しかけたときのことです。
私はごくごく普通に自己紹介して、他愛もない話をしたつもりだったのですが、去り際にひとこと、グループの中心であるAくんが私に言いました。

「お前、変だね」

冗談交じりに笑いながら言われたのですが、それは私の心に重しのようにズシリ、とのしかかりました。
価値観の崩壊です。

「ひとと違う」ということは、「変なこと」で許されないことだ、という考えに苛まれ、私は半分うつのような状態になりました。

得意だった勉学も、はじめのテストで人生で初めて1位以外「6位」を取ってしまい、とても落ち込みました。人間関係と勉強のダブルパンチでショックでした。

 

中学校の初めの1年間はそんな風に過ぎていき、周りと打ち解けることなく、むしろ浮いたような存在だったと言えましょう。落ち込んでいるので成績も落ちていく一方でした。

自分は周りと違うから、溶け込むことができない人種である。
いつしか、「ひとと違う」ということは、「誇り」から「恥」に変わってしまっていました。

 

現状を打破するため、人間関係を分析

中学校2年の頃、私はなんとかクラスで孤立したこの状況を打破しようと、周りの人間関係の分析を始めました。

 

Aくんは学級の中心でまとめ役、Tくんはいつもボケてばかりいるムードメーカー、Mくんは口数は少ないけどスポーツができて頼りになる人間…

そう、こんな風にして私はクラスの中心のグループの生徒を分析して、「このコミュニティ内において、どういうキャラとして立ち回り、そして会話の流れとしていまどんな話をしていて、このタイミングで何を言えば面白いのか」などとということを徹底的に研究しました。

 

小学校の頃、「ひとと違う」ことを美徳としていた私が、中学では「ひとと同じ」になろうとして必死に努力していたのです。
転んでも、タダでは起きません。そのようにして、私は中学2年から徐々にクラスに打ち解けて行きました。

人間関係の問題が解決すると、自然に勉強の成績も上がっていきました。
課題解決を繰り返し、悩むことさえなければ人間はなんでもできる、というのが当時の考えでした。

 

卒業する頃にはクラスのみんなと仲良くなり、文化祭では全校生徒の前で男子5人でショートコントを披露するほどには馴染んでいました。
友人と冗談を飛ばし、そうして笑いながら過ごす毎日。

それはそれは、楽しい毎日でした。
「普通の中学生」をしているつもりでした。

 

ですが、小学校の頃のように知識欲が豊富で「ひとと違う」ことを誇りに思っていた私はどこにもいませんでした。
家で暇なときも、ただ無意味にダラダラするくらいで、何かを探求して楽しむような目の輝きはどこかに行ってしまっていました。


高校時代〜現在

高校は地元の公立を選んだので、クラスのメンバーは中学校のメンツがおおく、ほとんどコミュニティも変わりませんでした。

体育祭では応援団長、クラスでは学級委員、成績は上位をキープ、部活も頑張って、友達も多い。男子とも女子とも仲が良く、うまくやっている。
「普通に充実した高校生活」を送っているつもりでした。

 

たしかに毎日は楽しくて、すべてが、万事うまく行っている、そんな風に見えて、
私はいつも心のどこかで「空虚さ」を感じていました。

「みんなと同調して楽しくいようとする自分」はあくまで「合わせた自分」に過ぎないのではないか。
そうなると、「ほんとうの自分」のことは誰もわからないのではないだろうか。


そう思っていました。

表面的には仲良くしている友人も、自分のことなんて絶対に分からないだろう。

自分はほんとうは「変人」であるし、「ひとと違う」のであるから。
「ひとと違う」ことは恥だから、誰にも見せちゃいけない、たとえ家族や親友でも。

 

そのような疑問、そして「ほんとうの自分」を出せないという恐怖を抱えたまま、高校生活は飛ぶように過ぎてゆきました。
その頃には、小学校であれだけ好奇心の塊であった私はなりをひそめ、読書も小学校は毎年100冊以上は読んでいたのが、中学入学以来、6年間、1冊も本を読まないようになっていました。

 

はたから見れば、「普通に充実した高校生」であったのでしょう。
その実は、表面ばかり、外聞ばかり気にし過ぎた神経質な人間でしかなかったのです。

 

大学時代

大学に入って、私は初めて県外に出て、京都で暮らすことになりました。
環境の変化は、中学校の頃の合併以来、ある種のトラウマではありました。

ですが、大学は新入生全員が、全国各地から集まってくるものなので、心配には及ばず、案外早く友達もでき、サークルを3つ掛け持ちし、そこそこ楽しく過ごしていました。

 

しかし、大学生の「遊び」というのは自由に見えて、非常にワンパターンです。

どこか居酒屋で飲む、ボウリング、スポッチャ、テーマパーク行く、海行く、旅行行く…
「娯楽」というものは限られていて、そして終わって仕舞えば私自身には何も残らない。

もちろん、友人と話すのは楽しいし、どこかに行ったり、美味しいものを食べたりしているときは楽しいのですが、家に帰ってひとりになったときに襲ってくる無力さ、そして「空虚感」。

それは、私が高校時代にずっと心の底で感じていたことでした。

私にとって「普通に充実する」とはそもそもなんだろう。
たぶん、世の中には娯楽にまみれるような生活で、充実していて、これでほんとうに楽しいと思えるひともいるのだろう。

 

しかし自分はどう楽しんでもどこかに「空虚さ」が残る。

 

私は、その「空虚さ」に耐えられず、思い切ってサークルを全てやめて、友人とのつながりを絶つため、ケータイの電源を切って、自宅にこもりました。
ほとんどバイトの貯金をコンビニに費やすだけの廃人でした。

 

何週間もずっと、考え込んでいました。


「この空虚さ」は何なのか?

 

「普通」なんて大衆の作りだしたおぼろげな幻想に過ぎない

 

すうっと心を落ち着かせてみると、
自分の心の中で、小学校時代の楽しかった記憶が蘇って来ました。

「ひとりひとりが主人公」が学級目標でした。

個人を尊重し合い、そしてキラキラと目を輝かせながら生きていたとき。
「ひとと違う」ことは誇りであって、自信の源だった。
振り返ったとき、小学生の頃がいちばんしあわせだった。

 

そう思ったとき、私は、どうやらえらく回り道をしてしまっていたのだと、ようやく気づきました。
私は「ひとと違う」ことで悩まなくていい、そのままの自分でいいんだと。
思うに、「普通」なんてどこにもない。
「普通」なんて大衆の作りだしたおぼろげな幻想に過ぎない。
頭の先からつま先まで「普通」な人間などいない。みんな何か悩みやトラウマを抱えていて、それでも強く生きようとしている。

だから私も強く生きよう。そう、決意しました。

 

その日から私は変わりました。
思い出せ、一番目を輝かせて生きていた頃の、本来の自分。

「ひとと違う」ということを思い出して、感覚を鋭くして、見るもの聞くもの、胸の奥深くまで吸収しようと努めました。
読んでなかった本も、観たかった映画も、全巻読みたかった漫画も、思い切って何でも興味あるものに片っ端から触れてみました。

ああ、この電気が走るような感覚、私の求めていたものでした。

そして、少数ですが、同じように映画好きでサークルに入っていない友達ができました。

「気になるひと」にも自分からコンタクトを取って、会いに行きました。
小学校の頃読んでいたファンタジーのシリーズ本の訳者さん、高校の時、担任ではなかったけれど、一番仲が良かった国語の先生など。

インターンシップにも参加しました。ずっと興味のあった広告のクリエイティブ職でした。そこでも面白くってかけがえのない仲間ができました。

 

無理して「普通に充実した」人気者を気取らなくていい

 

私は気がつきました。ひととの出会いは「媚びる」ことではない。

自分がやりたいことを真摯に追いかけていれば、はじめはひとりであるように思っても、自然と同じ志の仲間は集まってくる。無理して「普通に充実した」人気者を気取らなくていい。

そして、自分の生きたいように生きて、出会った人間というのは、ほんとうに心の通じる仲になれることが多いです。
あらゆる物事は、なるようにしかならず、あるがままにある。だから出会う人も離れて行く人もそのままに、ただ、仲良区なったひとと仲良くしていれば良いのです。

 

ですから、いまの生き方に疑問を持っている人には、ぜひ、一歩踏み出していただきたいです。
それは、ギフテッドであろうと、なかろうと、関係なく大切なことだと私は思います。

 

最後に

「ひととは違う」ギフテッドのひとたちは、繊細な人間が多いですから、人一倍悩みます。
ですが、悩んでいる時間は、苦しんだ時間は、絶対に無駄ではありません。

「幸せな人生」とはなにか。それは、そのひと自身が「いまの自分」に納得して生きることです。

 

納得して生きている人間は、強いですよ。
目がいきいきと輝いていますから。

 

私は「ひととは違う」ということを自分で正面から受け入れました。
そうして生きていく毎日は心から、「充実」していて、楽しいです。


人生を、生きることを、私はいま楽しんでいます。

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