GIFTEDの発達課題の解決:完璧主義の克服
はじめに
GIFTED(ギフテッド)とは、「天からの授かりもの」という意味で、先天的に知的素養・学習能力の高いひとのことです。
日本ではまだギフテッドという概念が一般的ではなく、そうしてそのことによってギフテッドとして生まれた子どもたちは、ギフテッドだと自覚しないまま、ギフテッドなりの悩みと戦ってゆくことを強いられます。
ギフテッドに特徴的な悩み、としてよくあげられるのが、「完璧主義」です。
本記事では、ギフテッドの人間における発達課題「完璧主義」の解決に向けて、「完璧主義」に固執し、そして克服した経験のある私が、私なりに述べようと思います。
ギフテッドの子どもの教育、または同じようにギフテッドもしくは「完璧主義」な方の助けになることを願ってやみません。
「完璧主義」のあやまち〜経験談〜
物事が何でもパーフェクトに出来るならば、もちろんそれは魅力的であり、それに越したことはないのでしょうが、人間は決して完璧なものではありません。
私は生まれつき、「完璧主義」な傾向がありました。
つねに、なんでもパーフェクトを目指していました。
高校2年の頃のことです。
私は文武両道を地でいくことを目標にしていました。当時進学クラスにいた私は、大学受験の5教科7科目の勉強、そして部活動のテニスを「完璧に」両立させてやろうと思っていました。
そのころの1日の流れ
その頃の1日の流れはこうでした。
朝5時に起床、支度をしてすぐに部活の朝練。
朝練の後8時ごろから夕方まで学校。
夕方から夜9時ごろまで部活。
帰宅後、ご飯と風呂を済ませ、夜10時から3時間勉強。深夜1時就寝。
毎日4時間睡眠で、文武両道、もちろん学校で昼寝もせずに授業も完璧に受ける。しばらくはこれでうまく回っていました。
しかし、どれだけ「完璧」な計画を立てたところで、頭でっかちになるのは避けられません。
なぜなら、精神と肉体が一致していないからです。
どれだけ頭が回っていたとしても、カラダのことを考えられていない時点でおしまいだったのです。
そんなストイックの極みのような生活を1ヶ月ほど過ごした私は、とうとう、「帯状発疹」という、年配の方や、免疫力の低下した人がかかるような病気にかかってしまいました。
カラダ中に泡のようなぶつぶつができ、猛烈に痒くなる病気です。しかも掻いたら治りは遅くなる。
私は、床に伏せることを余儀なくされました。
はじめ、これまでの生活リズムが崩れることを私は猛烈に嫌がりました(なぜなら、「完璧」が崩れるから)。
どうして、頑張っている自分だけが、こんな目に合わなければならないのか?と、家で毎日暴れていました。
顧問の先生の言葉で気が付いた
そんな時です。私は昼間、泣く泣く休みを取っていた部活動の顧問の先生に呼び出されました。
先生「お前、無理するなよ」
自分「無理なんかしてません、やるべきことを、すべて完璧にこなそうとしただけです」
先生「でもな、実際倒れちゃったじゃんか。それって、カラダは悲鳴をあげてるってことなんだよ。お前は確かに何でも全力でやろうとしているし、その姿勢は評価する。けど、カラダ壊しちゃったら元も子もないんだわ」
自分「…はい」
先生「全部完璧にできる人間なんて、ひとりもいない。できない自分も認めて、自分の心とカラダに相談して、うまくやって行く。それだけで十分なんだ。だから…無理すんなよ。大事な生徒なんだから」
私は、先生と話していて、心が洗われるような気がしました。
「完璧」を目指して、どんどんストイックになりすぎていた私。
カラダのことを全く無視して無謀な計画を立てれば、長続きするはずはありません。
「できない自分を認める」その言葉は、高校を卒業して何年も経った今でも、カラダと、心の奥のほうに、はっきりと残っています。
まとめ:「完璧主義」を克服するには
私の高校時代の経験を通して、「完璧主義」を克服するには、「できない自分を認める」ことが大切であると分かっていただけたと思います。
確かに、自分で計画した物事については、私はできていました。ですが、カラダのことを考えていない時点で、それはおおよそ「完璧」とはほど遠いものなのです。
「完璧な人間」などいない。ひとりひとりが、自分の無理のない範囲で、できること、できないことを見極めてやっていくのが大切なのではないでしょうか。
ギフテッドの人は、私のように「完璧主義」な人間が多いのだと思います。
あらゆる物事(それは運動、仕事、勉強、ゲームなどジャンルを問いません)には、すべて底のほうに「法則」があって、その法則にのっとって物事を行えば、人はある程度まではできてしまいます。
スポーツでは身のこなし、勉強では効率の良い勉強法などといった具合にです。
そして、そのような「法則」を発見するのがギフテッドは上手い。
「人間に不可能はなく、不可能はその人間自身が決めているに過ぎない」
というのは私の高校のときの信条でした。
もちろん、不可能を感じないことはある意味では強さになるのですが、何でもできると思ってあれもこれも手を出していては、収集がつきません。
それに、絶対的な時間が足りなくなったり、高校のときの私のようにカラダを壊してしまいます。
そうならないためにも、ギフテッドの発達課題である「完璧主義」を克服するには、「Take it easy!」
なんでもお気楽に、無理せず、毎日を過ごしていくことをおすすめします。
ギフテッドの子どもを持つ親御さんも、カラダを壊していないか、無理していないか、優しく見守ってあげてください。
「完璧」じゃなくたって。心配しなくても大丈夫、ギフテッドのきみには、十分に能力はあるんだから。
焦らないで。