GIFTEDの発達課題の解決:アンダーアチーブメント
はじめに
本記事では、ギフテッドの子どもの課題としてしばしば見受けられる、
本人の生まれ持った能力よりも下回った結果や成績を出してしまうこと=「アンダーアチーブメント」について述べていきます。
どうして、ギフテッドとして生まれ持った能力が高いにも関わらず、わざと能力が低いフリをしてしまう子どもが多いのか。
それは日本の教育環境や風土などに大きく関わっています。
アンダーアチーブメントは女子のギフテッドに多いと言われますが、男である私にも、その経験は色濃くありました。
ギフテッドとして、私自身がその体験談、および対処法について述べ、GIFTEDの発達課題であるアンダーアチーブメントの解決に寄与できればと思います。
「アンダーアチーブメント」という経験
私は小学校の頃、勉強というものに対して苦手を持ったことがありませんでした。
5教科、ほぼすべて満点しか取ったことがなく、逆にたまに95点などを取ったりすると震えるほど悔しがっていました。
当時の私は勉強というものに対して、「嫌なもの」という固定観念がありませんでした。
両親に自由に育てられていたことも大きいでしょう。
その頃は、自分の元来持っている学力を素直に伸ばし続けることができていた、と振り返ってみて思います。
小学校のクラスはひとつで、しかも5人という少人数。
片田舎では、誰も、周りと比較して自分は良いのか悪いかなどと比較し合うようなことはありませんでした。
高いも低いもなく、それぞれがめいめいの方法で勉強に向かい合うことができていた素晴らしい学校でした。
塾などでも、少人数指導が評判が高いことと同じように、先生の指導も個人個人でしっかりと目がゆき届いていました。
中学校で経験した大きな変化
しかし、中学校に進学して状況は一変します。
他の校区との合併によって、中学1年生から同級生は70人。さらにクラスは2つに分けられました。
学級の人数が増えると、これまでの人生で関わったことのないような多種多様の人間と接触する機会が増えます。
そのことによって、私はこれまで考えてもみなかったことに思い悩むことになりました。
それは、以下のことです。
①「一般的にみて」「勉強ができるクラスメイトは」「家でも勉強するような」「つまらない」 人間である。
②「おもしろい」人間は、「いつも家でゲームをしたりテレビをみたりして遊んでいる」から「勉強はしない」。
③「勉強のできる学年トップの生徒たち」は、「ほとんどメガネをかけて」いて、「陰気で暗い」人間ばかりである。
④クラスの中で目立っている「人気のある生徒」は「いつも笑顔で明るく爽やか」で、「勉強は人並み以下にしかしない」。
少人数の小学校から大人数の中学に上がった私は、いつも人を観察していて、クラスにいる同級生の人間たちをタイプ別に分類していました。
そして、「勉強を真面目にするような人間は人気者にはなれず、陰湿な人間なのではないか」という偏見の塊のようなレッテルを貼ってしまったのです。
その真意には、「自分は普通の人間とは違うのではないだろうか」という恐れがありました。
ギフテッドの子どもたちを悩ませるのはいつも、「コミュニティから疎外されてしまうのではないか」という孤独への恐れです。
ギフテッドも、そうでない人々も、それぞれが尊重しあって、生まれ持った能力を伸ばし続けることが教育の理想的な形であると私は思います。
こうして、新しい中学で、周りに溶け込もうと必死であった私は、それまで苦しいとも思わなかった勉強をあっさりとやめてしまいました。
なぜなら、「教室の片隅でいつも本を読んでいる」ような「陰湿な」人間にはなりたくなかったからです。
家ではスナック菓子を食べながらテレビを見るか、ゲームに没頭するなんら生産性のない日々。
小学校の頃に見られていた物事に対するやる気、好奇心や知識欲は全くなくなってしまいました。
成績も、どんどん落ちていきました。
中学校入学時には一桁だった学年順位も、二桁、それも30番台のような日々が続きました。
テストの点数は、平均点より少し上くらい。
「勉強していない割にはよく取った点だね」
というクラスメートからの言葉を、褒め言葉と思うほどに、そのときの私は心がひん曲がっていました。
まさに「アンダーアチーブメント」でした。
本当はもっとできることは、自分でもよく分かっている。けれど、周りから逸脱するのが嫌だから、勉強はしない。
というのが当時の私の考え方でした。
変化の兆し〜担任の先生との面談〜
中学2年の頃に1年だけ担任をしてくれた先生が居ました。
その先生は、当時の私の部活動であったテニス部の顧問でもあり、そして勉強についても、来年の高校受験に向けてクラスのひとりひとりに親身になって話をするような頼り甲斐のある先生でした。
スポーツをしていると、そしてその指導もされていると、単純な身体の動きだけでなく、心の働きも重要になってきます。
部活動で先生が掲げた目標が「心技体智」すなわち、心と技術と身体と知能の一致でした。
私はいつも先生にテニスの指導をされるとき、身体の動きやフォームだけでなく、心の底まで見透かされているような気がしました。
中学校2年の最後の県内学力テストの成績が返ってきた頃です。
私の順位は県内でも真ん中より少し上、くらいの「普通」の成績でした。
来年には高校受験があり、志望校もそろそろ決めなければなりません。
先生との面談で意識が変わった
そんなときです、担任の先生の進路指導面談がクラスメート全員を対象にはじまりました。
私は、先生に「行けるところに行きます」というくらいにしか考えていませんでした。
私と先生の面談の当日。
部屋に入るなり、先生は口を開きました。
先生 「お前、受験どうするの?」
私 「うーーんと、まあ、行けるところに行こうかと思ってます」
先生 「もったいないよ」
私 「え?」
先生 「お前さ、本気になったら県内の高校どこでもいけるのに、もったいないよ」
もったいない…
その言葉は、ただ毎日を惰性で過ごしていた自分に深く刺さりました。
そして、その先生のひとことは、私の中の何か、やる気スイッチのようなものをオンにしてくれたのです。
その日以降、私はいろんな物事に対して妥協しないようになりました。
本気出してやれることなら、絶対にやれるまでやってやろう!それが人生だ!!!
そう考えて、それからの中学2年、そして受験の3年まで走り抜けました。
合格発表の日。私は無事に志望校に首席で合格することができました。
いまでも、その担任の先生には心から感謝をしています。
まとめ:「アンダーアチーブメント」を解決するには
この体験談で私が申し上げたかったのは、
ギフテッドの子どもたちがアンダーアチーブメントに対峙したときの、私なりの解決方法です。
私は「ひとと違う」ことを恐れてわざわざ苦手でもなかった勉強をやめました。
そしてその後、担任の先生の「もったいない」というひとことで奮起し、できることを全力でやり始めました。
思うに、ギフテッドの子どもたちは、周りのことは気にしなくて良いのだと思うのです。
ただ、そのひとが持っている力を十二分に引き出す配慮を優しくしてあげたら良いのです。
私は、先生から「勉強しろ」とストレートに言われていたら勉強していなかったと思います。
「もったいない」
そんな、何気ないように見えて気の利いたひとこと、ウィットに富んだ配慮。
ギフテッドの子どもたちに必要なのは、そんな繊細で真摯な教育姿勢だと思うのです。