"変わっている" あなたへ

「変わってるね」

この一言を、私はいつからか当たり前のように言われるようになりました。

 

「変わってるね」

「そう?」

「うん。だって普通そんなこと思いつかないもん!」

「そうかな!^ ^」


こんなやり取りを小さい頃は日常的に繰り返していました。

 

親と自分と、それ以外。

そんな簡単な世界で、自分という存在を他人から認知されるだけのインパクトを残せたことは、特別なことでした。

 

「変わってるね」

友達からそう言われる度に、自分のことを"特別"だと認めたようで、すごく嬉しかった記憶があります。

自己紹介では、シャンと背中を伸ばして胸を張って「よく"変わってる"と言われます!」と大きな声で言っていました。

「変わってるね」は幼い私にとって、褒め言葉でした。

 

 

「変わってるね」

「そう?」

「うん。もっと協調性を持ったほうが」「目立ちたいのはわかるけどさ」

 

年齢を重ね、学校や部活といった小さな集合体の中で、勉強や恋愛で誰かに選抜されるという場が増えるうちに、こんなやり取りが増えてきました。

人は集団で穏やかな日常を歩むべきものであり、変であることは和を乱すことに繋がる。

変であることは不自然であり、何か目的があることから生じる事象であり、その目的は見えなくても先見の明として潰すに越したことはない。

 

「変わってるね」はいつしか仲間が敵になる瞬間を捉えた言葉のように思ってしまうようになりました。

 

 

「変わってるね」

「そう?」

「うん。一緒にこれ、やってみない!?」

 

さらに年齢を重ね、属する集合体が大きくなると、その中での市場価値を個性で測られるようになってきました。

 

他と一緒じゃ、意味がない。

自分ならどんな付加価値が付けられるか。
自分が存在することで、どんなものを世の中に生み出せるか。
自分なら、世の中をどう変化させられるか。

 

「変わってるね」は、私の中で最近また少しずつ価値を取り戻しつつあります。


「変わってるね」


そう言われたことが一度でもある方。

少しでも思いあたるエピソードはあったでしょうか?

あくまで私個人の話なので、いやいや!という部分もあるかもしれません。

 

 

さて、ここで問題です。


この話の中で、私を陥れる悪い人は誰だったでしょう?

 

実は誰もいません。

登場人物はみんな、今をより良く過ごそうとしただけです。

 

では、この中に登場する"私"は、

その時代時代で性質に変化があったのか?

 

いいえ、私は一貫して"変わって"いただけです。

 

排除する側と、排除される側。

意思があるようで、どちらも悪意はありません。
でも身の置かれた環境等の外的要因で、ふとしたキッカケからこんな構図になってしまいます。

 

でもそのことに気がつかず悩み続けていると、いつしかまるで

"変わっている"自分が悪い人間であるかのように

自分を排除しようとする周囲の人間が敵であるかのように

自分がこの世界で一人であるかのように、感じてしまいます。

 

誰も悪くないのに

自分で自分を追い込んだり悩んだりするのって、なんだか寂しいと思いませんか。

 

外的要因なら、なんだか自分の力でなんとか出来そうな気がしませんか。

 

 


さて、あなたは今、どの立ち位置にいますか?

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