中学までと,高校以降,勉強のしやすさが大きく変わった(しにくくなった)──42gifts的「ギフテッドの特徴」その②

私は,「ギフテッド」と呼ばれる集団にあって,ご多分に漏れず,学校生活からはドロップアウトしてしまったクチです。

 

それでも,知的好奇心(※好奇心に関しては,別記事で!)が強いことが手伝ったのでしょう。

そこそこに名の知れた大学,大学院まで行きました(知りたいことだけはたくさんあって,勉強するには大学に行くという考えにずっと囚われていた面もあったと,今になっては思います。)。

 

話を戻して。

 

私が学校からドロップアウトし始めたのは,中学校3年生のころです。

それまでは,同級生や教師との関係で,随所で不適応を起こしながらも,一応教室には行き,授業中もおとなしく座っていました(授業はあまりまじめに聞いていませんでしたが。)。

しかしついに,中学校3年にして,居眠りをし,保健室やトイレで授業をさぼり,仮病を使って学校を休むことを覚えました。

 

でも,中学までの勉強は,簡単すぎることにこれでもかと時間をかけるので,話半分に授業を聞いているだけで,テストでは点が取れてしまう。

なぜか,私が一番勉強をさぼっていて,周りがみんな勉強しているはずの中3のときが,一番成績がよかったくらいです。

 

そして高校。

どうして,(特に大学受験を意識した)高校の勉強内容と中学までの勉強内容って,量的にも質的にもこれほどまでに異なっているのでしょう。

地元に予備校もない田舎の公立進学校の,いかにもな雰囲気や指導方針に,私はまったくついていけませんでした。

高校に入学したとたん,はい次は大学受験,と気持ちを切り替えて勉強することもできませんでした(そもそも継続的に机に向かって勉強する習慣自体がなかったから,無理に決まってます。)。

 

授業は,やっているはずもない予習の答え合わせか,何故その知識ないし知見が存在するのか(「大学に合格するため」以外の)理由も全体像も示されないまま機械的に知識が詰め込まれるかのどちらかで,苦痛でしかない。

 

 

当然,落ちこぼれました。

 

特に,授業の内容や教科書的なことを地道に頭に叩き込んだかどうかが問われる定期試験では,赤点を連発。そのうち点数すら見なくなりました。

足並みを揃えるように授業のさぼり癖も悪化していきました。

 

遅刻・仮病の常習犯で,学校に行っても空き教室で友人と授業をさぼる日々。

ついに担任から「出席日数が足りなくて単位を出せなくなるから,頼むから授業に出てくれ」とお願いされるまでになりました。

 

 

ただ,長期休み明けなどに受ける外部の模試では,得意な科目はときどき上位に入る。

それもあってか,同級生からは勉強ができる人だと認識されていました。それがかえって辛くも感じていました。

 

 

その後,なまじ高学歴になってしまったために,「何の苦労もしていない根っからの優等生」みたいなイメージを持たれたり,時にはやっかまれたりもして,精神的に孤立することもありました。

 

「ギフテッド」という概念を知って

長じて,知能指数のことや「ギフテッド」という概念を知りました。

そのうえで当時を振り返ってみると,

①高校で採られている教育方法(≒大学受験に必要な能力)と,私の知的好奇心のスイッチとがずれていたこと,
②関心が持てない知識を理由もわからず摂取することをアレルギー的に拒絶する私の性質,
③私の,ある対象への把握・理解の方法がちょっと変わっていたこと,

が,高校の勉強に対する不適応の大きな要因となったのではないか,と思います。

 

ある科目の全体像やコンセプトが自分なりに腑に落ちていて,それを「面白い」と感じることができ,かつ,

ごく基本的な公式や原理が,暗記でなくイメージとして理解できている,という状態でないと

「わからない,納得いかない」または「興味ない」と感じて気持ち悪くなってしまい,それ以上の情報を与えられると混乱してしまうのです。

 

一方,そうやって一度腑に落ちた理解は(量は少なくても,というか少ない分)なかなか忘れないもので,今では私の新たな知識吸収に一役買ってくれています。

 

───

 

これを読んでくださっている方で,似たような思いをされている方。現に学校の勉強に苦しめられている方。

 

私たちは,決して,学ぶことが嫌になってしまったのではありません(よね?)。

本当は大好きなはずの,「知りたいことを学ぶこと,それをもとに何かを考え,ひらめくこと」を,運悪く楽しめない環境にあったために,周りの人たちが青春を謳歌している年頃に,少し辛い思いをしただけ。

 

そして,しかしこの探求心が,こうして「ギフテッド」という知見にまで私たちを連れてきてくれた。

お互いに,ここまでやってきたことを一瞬でも労うことができればいいですね。

 

そして,後に続くもっと素晴らしいたくさんの人たちが,同じ轍を踏まないで思いっきりその能力を生かしてくれたら。

そのために,私も,たとえ小さくてもこうして声を上げていくつもりです。

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