娘の不登校

こちらの記事は古く、現在の当団体の方針とは大きく異なる内容である可能性が高いですのでご注意ください。

私自身がギフテッド(2E)だと自覚したのはここ数年の事で、きっかけは娘の小学校4年間の不登校でした。

 

娘自身もギフテッドですので、まずは娘の経緯から。

 

乳幼児の発達はわりと普通だったかと思っていますが(というか、元ダンナの借金やらDVやら離婚やらでバタバタしていてあまり詳しく覚えていない)、

保育園時代はとにかく大人びた頭の良い子供でした。

離婚のバタバタで娘は3つの保育園を渡り歩いてますが、

一番在籍が長かった離婚直前からの実家地域の保育園では頭の良さと顔立ちの良さからやたら目立っていました。

 

幸いにも地元保育園は私立のカトリック系で知的レベルの高い保育園でしたので、娘にとっては過ごしやすい環境下であったと言えます。

 

小学校入学で環境が変化

小学校では学区が変わり、当時住んでいた職場の寮の近くの小学校に入学。

 

田舎ならではの過疎状態で、かなりの少人数での学校生活となりました…が、

ほかの子供らと担任のあまりの知的レベルの低さに娘はイジメに合い、

担任に振り回された結果、適応障害になり学校に行けなくなりました。

 

翌年の担任はまだ良い方でしたが、それまでに娘はすっかり学校不信に陥っていたのと、

娘自身の特性を学校に説明しても話が全く通じないので、地元よりは街の地域に引っ越し・転校しました。

 

 

しかし次の学校でも娘の特性を理解されず、挙げ句の果てには
「頭が良いのに何故学校に来れない?」と逆に娘を追い詰める始末。

 

その頃には娘を心療内科に受診させ、発達障害としてはかなり微妙・IQ118で知的アンバランスあり。と診断も受けました。

(この頃にインターネットでギフテッドを知り、私も娘もギフテッドの可能性があること。また、自分自身も発達障害の検査を受けて軽度アスペルガーと診断されました)

 

学校側に支援学級・支援学校の登校を希望しましたが、どちらも「頭が良いから」と却下。

(週一の支援学級の通級は許可されて、その日・その授業だけは学校に行けましたが…)

 

 

こうなると「もう学校行かせるのは諦めて、のびのびとさせることだけ考えよう」

と再度引っ越し・転校。

 

 

しかしながら、幸いにも通級していた支援学級の先生が次の学校で支援学級入級の段取りを組んで下さり、次の学校では支援学級に入れる事に。

支援学級入級をきっかけに娘の学校不信はなくなり、完全不登校から脱する事が出来ました。

 

支援学級に入級して

娘の場合は、学校ではものすごく他人に気を遣って優等生になり、授業でも過集中になるために、

体力・気力がもたないため、毎日学校に行くのが難しいのと、

他人の感情に敏感過ぎて人間関係にすぐつまづいていました。

 

支援学級に入り、同じクラスの子供たちが何かと支援が必要な反面、

素直で自由なので周りに気をつかう必要が全くない環境が娘に合っていたようで、

他の子供たちの世話役…リーダー的存在として大活躍していたようです。

(支援学級の担任からは「支援されてます」言われるほど)

 

中学生になった今

そんな娘は現在中学1年生。

 

中学でも支援学級に入れていただき、週に2〜3日ペースで学校に通って(行かせて)います。

まだまだ自分なりの学習方法を確立していないので成績はかなり悪いです( ´_ゝ`)

 

夜型で朝起きれないので、遅刻してでも行かせようとしてます。

朝起きれないので全日の高校進学は諦めてますが、親の欲目的にはせめて高校卒業相当の学歴だけは着けたいかな?と。

 

そこからの進学や資格取得などの知識習得は本人の意思に任せるつもりです。

(本人には自立出来るようにだけはしろ。といつも説教?してます)

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