不器用な器用貧乏

こちらの記事は古く、現在の当団体の方針とは大きく異なる内容である可能性が高いですのでご注意ください。

幼少期の記憶はあまりありませんが、覚えているのは祖父が保育園バスの送り迎えをしてくれたのと、

やたらモテる同級生がいて、沢山の女の子に追っかけられている姿…。

(なんでこの記憶なのかは未だに謎)

 

小学校からはイジメに合い、その記憶しかない。

一番の友人は図書館の本や漫画で、本の世界にいれば辛さを忘れられた。

成績は中の下・内申は良かった。

 

高校・専門学校とトントンと進学したが、専門学校では教師や寮母とソリが合わないわ成績不振になるわで、国家試験の参考書だけが私の逃げ場だった。

 

そのせいか今でも学校が苦手だし、人間関係が何より怖い。

今でもそうだが、私にはあまり密に関わる友人はいないし、友人付き合いというものがよくわからない。

 

最近までは、それはイジメの後遺症だと思っていた。

 

20代まではそれはコンプレックスで、普通に友人が沢山いる兄弟がとてもうらやましいと思った。

 

看護専門学校を卒業し、看護師として社会に出ると、

自分自身に他人と関わる為のスキルやマニュアルを自分自身に無理矢理叩き込み、何とかやってきた…

が、何故かプライベートでは上手くいかない。

 

20代半ばから結婚・妊娠・出産・離婚を経ていく中で鬱と自律神経失調症になり、

不登校だった娘のフォローに徹するうちに看護師が怖くて出来なくなった。

 

看護学校時代に身についた自主学習の方法が自分自身に合っていたのか、

それからはスポンジのように興味のある知識を吸収してしまううちに、

一部の知識においては医師・薬剤師・社会福祉士・ケアマネジャー並になり、

そのおかげで看護師の知識やスキルは相当なレベルにまでなったと思う。

 

ただ鬱になったことで、もともと強かった直感や危機意識の感覚が強くなりすぎて、

まわりの医療従事者やスタッフの危機管理意識のなさにストレス過多になり、

仕事中を始めに常に腰痛から全身の激痛が起こるようになったのだ。

 


今は看護師はしていない。

今の仕事は体力的にキツイが、看護師の時よりは楽になった。

体調がもう少し回復したら、器用貧乏さながらに身についてしまった様々なスキルを活用した仕事もやってみようかな?

 


親しい友人は今も数人。

でも、今はそんな私に似た娘もいる。

 

ただ、娘には気の合う友人が何人もいる。

自分自身の「普通じゃない」を受け入れたら、寂しくなくなった。

今はそれでそれなりに満足と思う。

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