不都合なギフト(孤独と恐怖)

こちらの記事は古く、現在の当団体の方針とは大きく異なる内容である可能性が高いですのでご注意ください。

ギフテッド…と言うと、天才とか凄い所ばかりフォーカスされていますが、
逆にその能力に苦しめられてもいるギフテッドがいると言うことも知って欲しいです。

 

私の場合は恐怖と孤独です。

 

感覚が鋭い・頭が良いとは言っても、
それが勉強ではない部分で突出してしまうと、時には家族にも理解されません。


私の身内には私と同じアスペルガーは何人かいますが、
ギフテッドはいません。

そしてアスペルガーの感覚はある程度他人に理解できても、
ギフテッドの感覚はギフテッドにしかわからないのです。

 


数年前に自分自身がアスペルガーとわかり、身内に伝えましたが未だに理解されません。

娘が生まれ、ある程度大きくなるまでは私はずっと孤独でした。

娘が小学校に上がり、その特性のために苦労しても、
私が娘の理解者である事が娘には救いになったと思われますが、
私には誰も私の心を抱きしめてくれる人がいないのです。

 


私は看護師免許を持っていますが、今は看護師をしていません。

看護師である事は好きだし誇りですが、
強すぎる感覚が故に出来なくなってしまいました。

 

感覚が強すぎて、
時には患者さんの病気を初期以前に察知します。

感覚が強すぎて、
患者さんが急変する前に急変しないように対処できます。

感覚が強すぎて、
患者さんが訴える前に側に寄り添えます。

 

ただその強すぎる感覚は、
他の看護師にとっては不必要な仕事を増やし、
問題が問題となる前に訴える私はただのうっとおしい看護師となってしまいます。

 

そして、問題が起きるまで何もしない状況が私にとっては恐怖でしかないのです。


それでも何年かはその恐怖に耐えながら仕事をしていました。

看護師をする事も恐怖ですが、

仕事が出来なくなることも恐怖だったのです。

 

しかし、娘の不登校がある程度目処がついたのを機に看護師を辞めました。

 


今は精神的に無理のない仕事をしながら、ひたすら身体と心を休めています。

今は娘がいる事や、ネットのおかげで孤独はある程度癒せています。

 

恐怖は…。


看護師である恐怖は今はありませんが、生活上の恐怖は絶えません。

安心して生活する方法をいつも模索しています。


私の一番の願いは、
これらの孤独や恐怖がなくなって安心して生活できるようになる事です。

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