人生のヒント〜gifted的ライフハック〜

こちらの記事は古く、現在の当団体の方針とは大きく異なる内容である可能性が高いですのでご注意ください。

giftedをはじめとして、何処か自分が現実世界に馴染めない、と思っている方は、一歩がなかなか踏み出せない人が多いように思います。

私は23歳ですが、人一倍そのことについて悩み、経験し、そうして悩むことをやめました。

いまは映画の脚本をしたり、小説を書いたり楽しく生きています。

以下は私が人生で見つけた、生きるヒントのようなものです。

経験から得たことなので、響いてくれると思っています。読んでいただければ幸いです。

 

【人生のヒント】

一、人との出会いは直感を信じてよい。素晴らしい人間との出会いは思考を加速させる。

 

多くの人間に会いました。東京は人間が多いです。もちろん、人間以外の方も。

初めて会う人であっても、不思議と意気投合することは少なからずあります。それは、直感やフィーリングの類のものであります。

けれど直感やフィーリングというものは案外馬鹿にならないもので、何となくこの人と気があうなあ、だとか、何となくこの人といると良い影響がもらえるなあ、ということは当たっていることが多いです。

ポジティブなものはそうですが、逆にネガティブ、何となくこの人苦手だなあという場合のことも考えてみましょう。

その場合、たいていがその人自身の悪い勘ぐりであると思います。

理由もなく相手を嫌いになることはないはずです。なぜなら、理由がないからです。


ですが、それでもどうも苦手な場合。

その場合は、苦手な「理由がない」のではなく、「理由が分からない」場合であるように思います。

そのとき、十中八九、相手もあなたのことをすこし苦手に感じていることでしょう。

人間関係の悩みが、人生においてほとんどであると言われますが、これはかなり致命的なような気がしますね。

ではどうするのか。

それはよりたくさんの人と会って、気の合う仲間を増やしていく、これに尽きます。

苦手なタイプの人間はもちろん一定数はいる、けれど無理をして自分が破滅してしまえば、それはそれで元も子もないことです。

「西の魔女が死んだ」という本にこんなフレーズがあります。

“自分が楽に生きられる場所を求めたからって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きることを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか”


それでいいんです。


そうして、素晴らしい人間との出会い、そして対話は、私たちの思考を加速させます。


シンプルに考えれば、かけ算です。相性の良い相手との邂逅は、乗法に似ています。


私たちはひとつに見えて無限の存在であるので、数値化はできません。

もちろん1でもありません。

けれど唯一確かなことは、出会いによって、どこまでもそのかけ算は大きくなっていくことです。


会話が盛り上がれば、会話の世界も無限に大きくなっていく。


この思考の加速は、それだけで宇宙と言えましょう。

 


一、芸術を鑑賞する時にはじっくりと味わうこと。インプットとアウトプットは鮮度の高いうちに。

 

多くの人間に会い、多くのことを学び、多くの映画、多くの美術、多くの文學、多くのアニメーションなど、多くの芸術を鑑賞してきました。

高度な芸術というものには哲学があり、難解であることも少なくありません。

また、感動を与える芸術は、強く心に訴えかけるものが多いです。

そうしてその感動には鮮度が重要であります。


最も感動を覚えた瞬間や、感銘を受けたときに、それをしっかりと刻みつけておくこと。


それは日記であっても構わないし、ツイートでひとことつぶやいたりしても良いし、フェイスブックで長々と語っても良いし、脳内に焼き付けてもよろしいでしょう。


インプットをしたあとには鮮度の高いうちにアウトプットをすることが重要なのであります。

なぞることによって、その作品の印象は深く心身に刻みこまれ、そうして、いつかどこかで見聞きしたフレーズや、台詞回し、美術的造形、シーンや情景などがじわりじわりとその人の中で何かに変わり、最終的に自分のものとなるのです。

“学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。”


___太宰治「正義と微笑」より

 


一、自分の信じるものを信じて理想を持ち続け進め。あなたの孤高なる努力はどこかの誰かがずっとみていて、そうしていつか必ず報われる。

 


努力が報われる瞬間はそう多くはないし、おそらく理想を追い続け突き進んでいる人たちの人生の時間はほとんどが鍛錬でありましょう。

同じ作業の繰り返しや、気の滅入ることなど、人間はロボットではありませんから、平常通りにいかないことは多々あります。

けれど、そうなってきてからがその人間の勝負。

その苦境、困難、さまざまなしがらみを超えた先に、真に努力の報われる時が来ます。


そして、不思議なことに、「あのとき、ああしていてよかった」と心から思えるようなことは、孤独の作業で培われたものが多く、しかしそれを気づかせてくれるのは他者との対話である、という面白いねじれがあります。

そのねじれを肌で体感できるようになったとき、また努力をしたいと人は思い、進み続けるのでしょう。

 

一、人生は芸術である。物語を紡ぎ続けること。

 

字義以外の意味はとくにはありません。

どんなにすごい人間に会ったり、どんなに自分が魅力的に相手に見えるように取り繕ったとしても、それらすべては、物語を紡ぎ続けているのかどうか?という己に対するシンプルな問いに集約されます。

アイデアがあるなら書きなさい、人間の想像した世界は必ず実現できるものだから。


巧言令色鮮仁にはなるな、しのごの言わずに物語を書き続けろ。

そうして、悩み、苦しみ、ときには喜び、STORYとして昇華せよ。

それこそが人生であり、芸術である。

 

【最後に】

これらはすべて綺麗事だ、とおっしゃる方もいるのかもしれません。

けれど、敢えて言うならば、これらは綺麗事です。


綺麗事を綺麗事と分かった上で諦めている人間と、綺麗事を綺麗事だと分かった上で、その綺麗事を現実のものに変えていく努力をし続ける美しい人間。


この二種類の違いは大きなものです。


私は後者でありたい。

この記事を読んで、何処か自分が他と違っていたり、周りのことが気になってなかなか上手く生きられない人の力になれば嬉しいです。

 

《〆》

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